歩き魔術は危険

先日、家の中を歩きながらカバラ十字の払いが出来るか、試してみた。

建前としては、日常の中での魔術、を行う練習みたいなもの。
本音としては、なんか出来たらかっこよさそうだから。RPGっぽいじゃん、的な。

結論としてはかなり危ない。物理的な面で。
意識が半分かそれ以上持って行かれるので、受け答えは出来ない。
注意散漫所じゃ無いな、これ。危ない。
しかし、歩く方に意識を持っていけばカバラ十字が出来ない。いつもの没入は出来ない。
だから、実行している間は意識が分割される。見ていること、歩いていること、カバラ十字と。かなりぼーっとした見た目になるだろう。
しかしまぁそこにさえ目をつぶれば実行できた。効果もいつも通りだったと思う。多分。

これは意識を分割して行動する練習になる、かな?
高度な儀式を行ったりする場合に集中を切らさずに行動したりする練習になるだろう。
そう考えると、普段の生活でも活きる可能性があるなぁ。

歩き魔術は危険” に2件のコメントがあります

  1. カバラ十字は、セフィロトの樹と同化するのだから樹は不動の存在…
    だから、動いていては同化は出来ませんし、自身と場の浄化ですから場の浄化は動いていては出来ません。
    従って、カバラ十字を切ってから動くのが最適であり当たり前の事となりますよね?
    併しながら、私個人としては、あなたの様な発展的な考え方は嫌いじゃありませんね。

    1. コメントありがとうございます。
      確かに仰る通り、静止して行うのが当たり前だと思います。
      日記を紐解きますと、当時はカバラ十字を一種のエネルギーワークと捉え直し、木のことを外して実行しようとしたようです。
      一人でやってますので、馬鹿なことだと思われるようなことも積極的に色々と試して行きたいと思います。

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