
今回はそれぞれのスートの3のカードです。ちょっと最近更新頻度が下がってるので、途切れないようにしたいですね。




形而上の海に水母のようにたゆたい、月のように照らそう。
さて。タロット作成はちゃんと続いています。ただまぁ作成時間がどうしても掛かっちゃうので進捗は不安定ですけどね。
小アルカナについては、一旦4を作ってから他のを作り始めました。4というのは構成の枠組みのできあがりみたいな事を考えての4ですね。安定ですし。
さて、その4の前にAを。次の記事で4出します。
お気づきかと思いますが、小アルカナも大アルカナと同じ枠を付けてます。ライダー版など多くのタロットデッキでは数字だけをシンプルに描いてますが。これは余り深い意味はありません。
ソードは構図に納得がいってません。そのうち描き直すかも。
今のところ、描き直そうかどうしようかと思ってるのは、そのソードAと皇帝ですね。他は許容できる範囲内、みたいな。
※前回、審判の絵が抜けてたので、今回載せました。
審判、世界ともにカロリーの高い作品でした。世界は構図がかなり入り組んでて、やりたかった構図を幾つか変更しました。人のポーズもシヴァのダンスを取り込みたかったのだけど断念。自力で書ければ良かったんだけどねぇ。もしくはOpenPoseを使いこなせたら出来ていたのかも。
それはさておき、これでメジャーアルカナも終了。次はマイナーアルカナ。数も多いし、スートとナンバーには意味がありそれをマトリクス的理解が出来ないと作成は難しい。
また、一からずっと描いていく感じにすると、途中で自分の解釈が変わる可能性もある。そこをどうするかだなぁ。
あ、あと、徐々に作画カロリーが上がってるのも良くない。世界ではちょっと持て余してたからね。今回のタロット作成は完遂が目的の優先順位一位。完成度が上がったとしてもやる気を失っては元も子もないのでなんとかしよう。
以前、カードを作ろうとしたときに詰まってしまったのが悪魔である。構図は思い付いたのだけど、当時の画力では歯が立たなかった。
今度はAIが助けてくれる。どういうカードが出来るのか楽しみ。
先月終わりから、AIの助けを得つつタロットデッキを作成中。
みたいな感じで作成している。作成は4,5時間ほどかな。実際には手戻りがあったりしてままならないのだが。ほとんど一日一枚作ってるのはかなり頑張ってると思う。
タロットデッキを作成していると、自分がどこまでカードのことを知っているか、イメージが出来ているかというのが見えるのが良い。
意識した身体操作のススメ――「意を通す」感覚を日常に活かすために
私たちは普段の生活の中で、頭(思考)と身体(行動)を分けて考えがちです。仕事でパソコンに向かうとき、食事をするとき、移動するとき――多くの動作が無意識レベルの“オートパイロット”状態に近いのかもしれません。しかし、本来は心身は分かちがたく結びついており、「意を通す」感覚を得ることで、より豊かな自己理解とパフォーマンスの向上が期待できます。
「意を通す」という表現は、一般的な日常会話ではあまり馴染みがないかもしれません。しかし、武道や太極拳、そしてオカルティズムや魔術の世界では、昔から「身体に意識を流し込む」「エネルギーを巡らせる」といった概念が重視されてきました。これは単なる気分の問題ではなく、身体感覚と意識状態を結びつける重要な技術なのです。
実践家たちは、つい「頭でっかち」になりがちです。身体感覚を伴わずに神秘的なスキルを追求すると、心身一如の真髄から遠ざかることがあります。しかし、道を究めようとするならば、心と体の調和が大きな意味を持つのです。
空手や合気道、柔道といった武道では、「姿勢」「呼吸」「重心」の3つが心身を整える基本として語られます。例えば、空手なら「丹田(へその下あたり)に力を込める」「足裏のバランスを意識して踏ん張る」といったことを常に意識します。これが「意を通す」感覚を養う訓練にもなります。
太極拳では、動作を極力ゆっくり行い、重心の移動や身体の軸を感じながら、一連の動作を“気の流れ”とともに演じます。この「ゆっくり動く」という点が、身体感覚を鋭敏にし、各部位に意を通す感覚をつかみやすくしてくれるのです。
試しに体の核関節や筋肉の緊張を意識して、ゆっくりと動かしてみてください。スクワット1回を10秒かけて行うようにするだけで、その意味が分かるはずです。
一方、黄金の夜明け団やクロウリーなどの西洋オカルティズムでは、瞑想やヨガの呼吸法と合わせて「身体は神殿である」と捉える考え方がありました。身体と意識が分離しているのではなく、身体そのものに神性やエネルギーが宿ると見なされるわけです。彼らの儀式やエネルギーワークは一見壮大ですが、その根本には「身体の中心を意識し、意を通す」土台があると考えてよいでしょう。
「意を通す」と聞くと、特別な武道経験やオカルト的な知識が必要そうに思えますが、実は日常の中でも小さな工夫で取り入れられます。カギは「まず、立ち止まって自分の身体状態を確認する瞬間をつくる」ことです。
こうした“小さな確認”を1日に数回、数十秒ずつ繰り返すだけで、身体へ意識を通す習慣が徐々に身につきます。
普段は普通の速度で何気なくこなしている動きも、速度を落とせば「どこが動いているか」が明確に感じ取れます。スクワットを例にすると、2–4カウントでゆっくり下がり、同じペースでゆっくり起き上がるだけで「太ももに負荷がかかっている」「重心が前に移動している」といったことがはっきり意識できるのです。
このスローな動作を繰り返すうちに、「足裏の外側に重心が傾きやすい」「意外とつま先立ちになっている」など、自分のクセや身体の特徴に気づきやすくなります。特に、かかと、土踏まず、つま先のどこに一番体重がかかっているかを意識することが重要です。例えば、かかとに過剰に体重がかかっている場合、前方への動作が遅れることがあり、逆につま先ばかりに重心があると、安定性が損なわれることがあります。これらを観察しながら、立ち上がるときにお尻や腹筋をどう使えばいいか、呼吸のタイミングをどう合わせれば動きが楽か、といった発見が「意を通す」感覚の獲得につながるのです。
武道や太極拳以外に、西洋オカルティズムにも「意を通す」ワークがあります。黄金の夜明け団が用いた「中央の柱(Middle Pillar)」がその代表例です。これはカバラのセフィロトを身体の中心線になぞらえ、光やエネルギーを頭頂から足下まで順にイメージで巡らせる手法として知られています。
「中央の柱」は武道で言うところの“丹田”や“軸”を意識する作業にも似ています。実践の仕方は異なれど、「身体に意を通す」根本は変わらないのです。
「身体は神殿」という言葉は、宗教色やオカルティックな響きがあるかもしれませんが、要するに「自分の身体を大切な存在として認識し、意識を働かせる」ということを指しています。私たちは忙しい現代生活の中で、身体の声を聞く余裕を失いがちです。しかし、ほんの数秒でも姿勢や呼吸を見直す時間をとれば、身体と意識の“すき間”が少しずつ埋まっていきます。
・武道の稽古で培われる「丹田や軸を意識する」感覚\
・太極拳のゆるやかな動きで体得する「気の流れを感じ取る」技術\
・黄金の夜明け団の「中央の柱」によるエネルギーワーク
いずれも表現や方法は異なりますが、「身体性を通じて意識を練り上げる」点では共通しています。もしあなたが「意を通す」感覚に興味を持ったなら、まずは短時間のストレッチや呼吸法から始めてみてください。スローモーションで動いてみるだけでも、思いのほか多くの発見があるはずです。そうした地道な積み重ねこそが、日常の中で自らの神殿を築く一歩となるでしょう。