ふと気になってChatGPTと話しながら書いた記事
https://note.com/ote/n/naf85613c1a17
「魔術日記サイト」についての忘備録
形而上の海に水母のようにたゆたい、月のように照らそう。
クソ忙しくて慌てまくってるときでも、日課を行う瞬間だけは心を落ち着けられるのは、長年訓練してきて良かったと思う事の一つだなぁ。まぁ終わったらまた慌てまくってるんだけど、ちょこっと切り替え出来ただけでもストレス減るし、ミスも減る。
人類の歴史は、自らの限界を超えようとする絶え間ない試みの記録とも言えます。現代社会において、この「人間拡張」の概念は、生物学的な基盤から精神的・技術的な領域まで、多岐にわたる形で議論されています。本稿では、フェロモンの影響から始まり、いじめ問題、意識の拡張、そしてAIと魔術の融合まで、一見異なるトピックを結びつけながら、人間の可能性と課題について考察します。
人間を含む多くの生物は、フェロモンを通じて互いに影響を与え合っています。これは単なる生物学的現象ではなく、社会的相互作用にも大きな影響を及ぼしています。
この視点は、人間を個体としてではなく、環境と相互作用する複雑なシステムとして捉える「ホロビオント」の概念とも関連しています。フェロモンによる相互作用は、より高度な意識の拡張への第一歩と見ることもできるでしょう。
いじめは、群れ生物としての人間が持つ複雑な社会的行動の一側面と捉えることができます。この「バグ」は、肉体を持つ生物である限り完全な解決が困難である可能性があります。
生物学的本能:
感情と身体反応の結びつき:
個体間の物理的相互作用:
感覚入力による認知バイアス:
いじめ問題の根本的解決や人間性の向上のために、意識の拡張が必要とされています。
共感能力の拡大:
集合意識へのアクセス:
自己認識の深化:
現実認識の拡張:
創造性と問題解決能力の向上:
コードウェイナー・スミスの「人類補完機構」とE.E. “ドク” スミスの「レンズマン」シリーズにおける「アリシア」は、人類の進化と意識の拡張という共通のテーマを持っています。両者の比較は、人間拡張の究極的な形態について深い洞察を提供します。
超越的存在:
進化の指導:
精神能力の極限:
倫理的ジレンマ:
宇宙規模の影響:
これらの概念は、人間の意識拡張の究極的な姿を示唆しています。個々の人間の意識が融合し、より高次の存在へと進化する可能性を探るものです。
人間の拡張、特に意識の拡張を目指す上で、科学的アプローチと魔術的アプローチの融合が注目されています。
科学的検証:
テクノロジーによる伝統的実践の強化:
AIによる魔術的知識の体系化:
量子物理学との接点:
神経可塑性と魔術的訓練:
人間の拡張を考える上で、生物学的側面(フェロモン)、社会的側面(いじめ問題)、技術的側面(AI)、そして精神的側面(魔術)を総合的に考慮することが重要です。これらの異なる視点を統合することで、人間の可能性と限界についてより深い理解が得られるでしょう。
「人類補完機構」や「アリシア」のような概念は、人間拡張の究極的な姿を示唆しています。しかし、そこに至る道のりには多くの倫理的、技術的、そして哲学的な課題が横たわっています。
科学と魔術の融合は、これらの課題に対する新たなアプローチを提供する可能性があります。両者の知見を統合することで、意識の本質や現実の性質についての理解を深め、人間拡張の新たな方法を見出せるかもしれません。
最終的に、人間拡張の探求は、単なる能力の向上だけでなく、人間とは何か、そして我々はどのような存在になりうるのかという根本的な問いへの答えを探る壮大な旅なのです。この旅路において、科学と魔術、理性と直観、個人と集合、そして物質と精神の調和を見出すことが、真の人間拡張への鍵となるでしょう。
ここんところ、忙しさの余り日課が疎かになり気味だった。
バタバタしててそれどころではない!みたいな感じ。
そしたら何か知らんけど焦る気持ちばかりが強くなってきた。自分を見直すことも無くなってた。
体調悪くしてちょっと休み取って、色々反省してたら「日課やらなくなったのは悪手だったのでは無いか」と気付いた。
やはり内省したり、精神のスイッチングに日課が役立つのだろう。緊急事態でやれないことがあるのはともかく、それを続けたのは良くなかった。
まぁ何とかせめて5分。それくらいはやろう。
春分に向けて儀式の精度を上げていってる。
日拝、プレ、五芒星小儀礼、生まれなき者の儀式。どれも精度を上げてやってみると結構頭がほわほわする。
魔術用デスクトップの壁紙。DALLE-3使えば良いのではないか。四方と中央作ってClipPaintで合成みたいな。
西洋儀式魔術の伝統、特に黄金の夜明け団の流れを汲む者として、19世紀の神秘的宇宙観と現代の宇宙学の融合は、新たな視点と知識の探求への道を開く。この探求は、古代の象徴と現代の科学の間に新しい対話を生み出し、宇宙の深遠な理解へと導く可能性を秘めている。
黄金の夜明けは当時最新の技術、電気を儀式に利用した。我らも同じ事をしてはならないという法は有るまい。本物の科学者でもない私が聞きかじりのアイディアを練る様は滑稽かもしれない。しかし一人の魔術師としてのあがきとみて頂ければ幸いである。
多元宇宙理論は、無数の宇宙が存在し、それぞれが独自の物理法則や運命を持つと提唱する。この理論は、宇宙がエネルギーの生成、隆盛、衰退、そして死のサイクルを経ることを示唆し、これらのフェーズは古代の四大元素—地、水、火、風—と対応する。それぞれの宇宙はこのサイクルの特定のフェーズにあり、それらのエネルギー状態は宇宙の物質とエネルギーの動きを定義する。
風 | 東 | 生成 |
火 | 南 | 隆盛 |
水 | 西 | 衰退 |
地 | 北 | 死・停止 |
多元宇宙理論の一つにエネルギー時空がある。エネルギー時空のコンセプトは、エネルギーと時空の交差点に焦点を当てる。そしてダークエネルギーやダークマターのような現代の宇宙学の問題を探求する新しい枠組みを提供する。このエネルギー時空という仮説は、宇宙のエネルギーの流れと時空の幾何学を結びつけ、魔術的な宇宙観と現代の宇宙理論を融合させる可能性を示唆する。
西洋儀式魔術の象徴的な枠組みと多元宇宙理論を組み合わせることで、新しい祈りや儀式の可能性が生まれる。四方と四大元素、そしてエネルギーの四段階のサイクルは、神秘的な宇宙観を現代の宇宙の理解と結びつける新しい道を開く。それらは祈りや意識のレベルで宇宙の深遠な真理にアクセスする手段となり得る。
さらなる探求の余地として、「上下」の概念、五芒星や六芒星の象徴的意味、そしてそれらが時空の構造や黄道十二宮、天国、生命の木とどのように関連しているのかを考察することが挙げられる。これらの象徴は、新しい宇宙観の創造と神秘的な宇宙観の再解釈を促進する可能性があり、さらなる探求を刺激する。
この交差点での探求は、古代の知識と現代の科学の間で新しい対話を生み出し、宇宙の本質についての深い洞察を提供する可能性がある。新しい宇宙観の創造は、宇宙の神秘と科学の融合を通じて、未知の領域への冒険へと私たちを誘っている。そして、この冒険は、宇宙の深遠な理解と人間の存在の真実を探求するための新しい道を開く可能性を秘めている。
我々は歩みを止めてはいけない。我々は魔術というArtを行う者なのだから。
昨日、日課で五芒星小儀礼をしたときのこと。
東の方角に五芒星を描きYHVHを唱えた時、ぶわっと強い風を顔面・肩・胸に感じた。このような感覚に届くような事はタマに有る。海の香りがしたり、強い日差しを感じたり。常に起こる事では無く、中々再現出来ない。
その事を(もうちょい詳細に)魔術日記に書きながら思った。こういうふうにして、日課や思い付いた時とかに色々試行錯誤していったりしなかったりしながら続けていくと、有る時ふと違う事が起きる。今回のような事だ。どーでもいいことだったりどーでも良くない事が有って、それの価値を定めて、有用なようだったら再現出来るようにしていく。
そうやって選択したものなのに、不必要なものもあったり、時には後から本に書かれてる内容と符合したり。色々色々あって、気がつくと螺旋が一巻きしている。
私が思う学びというのは螺旋だ。ひたすらに登っていって、登ったつもりが同じようなフェイズを向かえていたりする。ただ、前よりは自分の目線や技量が違ったり、課題の難易度も変わっていたりする。ただまぁそれを超えるのは中々難しい。
もーちょっと頭が良かったり、メンタル面の懸念が無かったら、もっと違ったのだろうけども。
まぁそれは仕方が無い。
自分の持ってるカードで勝負するしか無い。
以前の魔術日記を見れば、さすがに「レベルが上がっている」と感じる。無事に続けてこられて良かったと感じる。それが出来たのは、別に何か秘訣があった訳でも特別な才能があったわけでも無い。たゆまず続けてこれたかと言えばそうでもない。調子を崩し、半年、一年中断した事もある。
そう考えれば、ここまでこれたのもそれだけで十分な成果なのかもしれない。
「日本人が日本で近代西洋魔術を行うと言うこと」
これについては、何度か「きちんと行うことが出来ない。止めた方が良い」的な話は聞いたことがある。
しかし、どうなんだろう。
例えば四大精霊への接触において何種類かのシナリオがあるが、それぞれ時代と場所によって変化がある。最近のものだと環境問題が入っているし、ちょっと古いものだと戦後のムーブメントの影響がある。
もちろん、GD時代のロッジで行われた空気は再現できないし、当時のサロンに居た人達のメンタリティを再現できないのは当たり前だ。
それをいえば、現代において魔術師になるのは不可能になる。それは馬鹿な話しになろう。
ならば(だいぶ飛躍があるが)現代日本人がその精神性に合った”西洋今術師”で在っても良い気がする。
最近、心の赴くままに五芒星小儀礼やってたら、下みたいになってきた。やたら豪華になってきたが、そこまでゴテゴテするなら大儀礼やったら?と思わなくも無い。
ケテルを感じようとするが中々感覚が得られない。
雑な中央の柱を行い、エネルギーに対する集中を深める。
再びケテルに集中すると上手く行く。
そこから3軸に沿った円弧を描く。もちろん中心は体だ。
カバラ十字を行う。
垂直方向と横軸方向で二本の黄金のシャフトが体を貫く。シャフトは交差点で噛み合い回転する。最後にそこを中心として薔薇十字記章のようなものが浮かび出る。
四方を回る。やり方は先日書いた変形版。オリジナルよりも相性が良い気がする。悪いことは特に無い。
反応がハッキリと半ば物理的な波動を感じる。
四大天使の圧が強い。皮膚にハッキリと感じ取れるようだ。それとともに3軸の交点に薔薇十字が浮かび上がる。(しかし軸に従ってある円って何と呼ぶのだろう。) 高まる内圧が光となる。放電現象のようなものが自分と球を結ぶように発生する。
最後に視界が光に包まれて終了した。マンガやアニメだと、必殺技食らって死ぬときの演出だよな(笑)
もちろん日常への帰還も忘れずに。
魔術が日常生活で役立ってる事と言えばなんだろう。
私の場合、真っ先に思い付くのが歯磨き。
私が歯を磨くときは目を閉じる。歯を磨きながら「ココを磨いた」「そこがまだだ」とやっていくわけだが、その際に実は「視覚化」を行っている。歯を磨きながら口腔内を視て、「あ、ココまだだな」と気付くわけだ。
毎朝毎晩やっていくのだから、腕の方も上がりまくり。もはや慣れた物である。
魔術で鍛えたスキルを活かしているのだから、こっそり「魔術的歯磨き」呼称しているのだが広める相手が居ない。
仕方ないのでブログに書いて自慢してみる。