夕方の日拝もなかなか趣深かった。
先日の船に乗った日拝以前と比べると、明らかに解像度上がっている。
ナイル川のほとり、葦やらの背の高い草が茂る湿地帯から、夕日を見上げ、私は鳥と化して飛び立つ。
今日は船の近くに寄って、そこにいる主人の疲れた笑顔を見ることができた。といっても具体的な絵面じゃ無い。そういう心象だけが来た感じ。周りも白い霧で隠れていた。テレパシーというかそういうエンパシーだけが来た。受け止め方が中途半端なので、私の共感能力が低いのかもしれない。
先日からの朝の日拝と共通するのは、「接触・観測」すると視野が狭くなること。解像度が悪くなること、見えるのでは無く感じるようになる事。
視覚では無く共感しているようになる。
感じ取る力が弱い。繋がりにくい。力量不足。取材・解像度が足りない。色々と考えられるけども、まぁとりあえずは試行回数を増やして、データを増やし、推測の確度をあげるべきなんだろうね。